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昭和三陸津波から78年後も

 投稿者:震災ボランティア  投稿日:2011年 3月21日(月)08時59分52秒
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  3月21日「赤旗」潮流より
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「3の数字が続く1933年3月3日午前3時ごろです。昭和三陸津波が襲ってきました。死亡・行方不明3000人余り。時の社会のなりゆきが影響を及ぼした震災でした。満州事変から1年半。日本は、中国への侵略を広げ、同じ3月の末に国際連盟を脱退します。東北地方は、飢えと貧困の中にありました。
いま宮古市に入っている岩手県田老村の被害が、最もひどい。男性の多くが中国に出征していた、女性・老人・子供の村。10メートルを超す津波。村は、役場と小学校とお寺を残してそっくり波にさらわれ、原始の砂浜と化しました。
村に、東京から医師や看護師がかけつけます。肺炎などの重病人を1日も早く1人でも多く助けたい、と。日本共産党の指導で作られた、日本労農救援会準備会が送った3人です。さっそく、役場で診療を始めます。ところが、わずか3時間後、特高警察に逮捕されます。順番を待つ被災者の列を残して。日本共産党員の作家、小林多喜二の虐殺から1カ月もたたないうちの出来事です。特高警察には、被災者の命より弾圧の手柄が大事でした。三陸で救援活動に携わっていた、300人以上を逮捕します。
しかし、機関誌の赤旗で 救援闘争をおこせ! とよびかけていた日本共産党は、活動をやめません。赤旗は求めました。国民が軍部に出す国防献金や軍事費を、被災者救済に振り向けよ。
78年後、救いを待つ東日本の被災地に、人道の伝統脈打つ党員たちがいます。」
 
 
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