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Re:竹島問題/追伸

 投稿者:まーくん  投稿日:2011年 7月16日(土)12時58分33秒
  通報 編集済
  >〈答え〉 日本の主張の「歴史的根拠」 17世紀以降、日本人が竹島(当時は松島と呼ばれていた)に渡ってサザエ漁やアワビ漁などの経済活動をおこない、この島についての正確な知識を持っていたということは、文献的にも確認のできる歴史的な事実です。

上記、志位さんの回答は朝鮮側の漁民にも全く同じ主張ができます。
見方を換えれば,このような根拠の希薄な一方向の論拠しか無いともいえます。
尚この件に関しましては下記のように江戸幕府が結論を出しています。

《江戸幕府の認識》
 江戸時代初期、竹島(鬱陵島)をめぐって、初めて日本と朝鮮の間で領土紛争が生じた(「竹島一
件」)。事件の発端は、1692年、同島へ渡った米子商人(大谷、村川家)が、すでに来島していた朝
鮮人漁民と遭遇したことからであった。翌年両家が再び竹島(鬱陵島)へ行くと、やはり朝鮮人漁民
が来島していた。そこで、二名の朝鮮人を米子へ連行して帰った。
 このことを鳥取藩を経由して、報告を受けた江戸幕府は、朝鮮人の竹島(鬱陵島)への来島を禁
止するよう朝鮮政府に申し入れ、7年間に及ぶ外交交渉が始まった。1695年、朝鮮から「日本側が
言う竹島とは鬱陵島のことで、この諸島は朝鮮領であり、ここで漁をしていた漁民を拘束したことは
誠信の道に欠ける。今後渡航を禁じ、同じ事件が起こらぬよう命じてほしい」旨の返書を受け取った
幕府は、本格的に竹島(鬱陵島)の帰属についての検討をおこなった。
 結果、鳥取藩自身が「竹島、松島其外両国(因州・伯州)之付属の島 無御座候」(「鳥取藩回答書」
)と明言し、竹島、松島は自藩領でないと認め、幕府も、そこに日本人が住んでいないこと、地理的に
因州(因幡国)より朝鮮に近いことなどから、同島は「朝鮮領であり無用の小島」と断じ、96年渡航禁
止を決定、対馬藩を通して朝鮮側に伝えられた。


 
 
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